月曜, 24 9月 2012 05:22

トナカイ牧畜について

「ツァータンのトナカイ管理と飼育方法 -ポスト社会主義時代への適応のために-」
2008年 帯広大谷短期大学紀要45号掲載

  はじめに

 本論文はモンゴル北西部針葉樹林帯地域に居住するトナカイ飼育民ツァータンのトナカイ管理の方法について年間を通して概観し、その特徴を考察するものである。

 ユーラシア大陸北部に広く分布しているトナカイ飼育ではあるが、タイガ地域におけるトナカイ飼育に関する研究はツンドラ地域のそれらと比べて非常に少ない。ウマやウシなどの草原家畜を飼育するモンゴル民族の牧畜活動の影響を、生活地域を接するトバ民族のトナカイ飼育が強く受けている点が指摘されるなど、非常に興味深く、かつ、家畜飼育の起源などを考察する上で重要な研究対象であるにもかかわらず、フィールドワークに基づく研究論文、報告が非常に少ないのが現状である。

 ツァータンの人類学的調査は1962年のバダムハタン論文に始まるが、その後、社会主義崩壊後に至るまでに特に発表されたものは無い。モンゴル人民共和国が1990年に社会主義体制を放棄して以降、外国人研究者がフィールドワークをようやく始めるに至っているが、2008年現在に於いても断片的にトナカイ飼育について述べられた稲村論文(2000年)、秋季、冬季における日常的なトナカイ飼育の実態を述べた中田論文(2003-2006年)があるのみで、ツァータンのトナカイ飼育に関して、長期的な観察に基づいて発表された論文はなく、筆者が2004年に記した小文があるにすぎない。

 トナカイ飼育がツァータンの基幹生業であることに異論はないのだが、現実の彼らの生活は草原地域の遊牧民らが牧畜活動に依存するほどには、トナカイ飼育に依存していないことも報告されている。特に社会主義崩壊以降は狩猟採集活動や観光産業の展開など、様々な生き残り戦略が展開されてきた。ツァータンを取り巻く社会情勢の変化とそれらへの社会適応については社会主義時代以前の彼らの活動から一つ一つひもといていかねばならないだろう。

 その理由に、ツァータンの社会主義化に伴う大規模トナカイ飼育への移行とその結果が、現在のツァータンのトナカイ飼育方法に大きな影響を与えていると考えられるからである。

 残念ながら本稿で、社会主義時代におけるツァータン社会の変化、およびトナカイ飼育民ツァータンの成立過程について述べるには紙面が足りない。従って、筆者が1995年より始めたフィールドワークのデータを元に、まずは現在における営地選択とトナカイ飼育の実態を年間を通して概観し、その特徴について考察を試みることを本稿の目的とする。大規模トナカイ群飼育の方法が、世帯内における分業を可能とし、ポスト社会主義時代を生き抜くための生業の多重化をもたらす基礎を提供したことを述べたいと思う。

調査地、調査対象、および方法

 1995年より2007年7月にかけて、モンゴル国フブスグル県北西部、オラーンオール郡およびツァガーンノール郡内の山岳地域で断続的にフィールド調査を行った。調査回数は19回、各回5日から一ヶ月半程度の期間滞在した。

 フィールド調査は一貫して現地で西タイガと呼ばれる地域に居住するバヤラー宿営集団内にて行った。当宿営集団は、調査開始時においては最多トナカイ頭数所有世帯として有名であり、かつ優良牧民として周辺の他宿営集団から認知される世帯である。家族は調査当初は世帯主バヤラー、妻、長男、長女、次女、次男、三男、四男、五男、バヤラーの母で構成されていたが、長男、長女の結婚、三男、バヤラーの母の死去などを経て現在に至る。

 宿営集団は基本的には家族単位で構成されるが、季節によって、親戚、縁戚などを中心に2~4世帯程度が離合集散する。このように構成員は変化するが生活やトナカイの管理は基本的には世帯単位で営まれている。
 彼らは「トバ」「オイガル」を自称とするトバ民族であるが、「トナカイをもつ者」を意味するモンゴル語「ツァータン」と呼ばれる。モンゴル人民共和国とトバ人民共和国の国境が定められた1932年時点でモンゴル側に居たトバ人たちがそのまま残り、森林地域でトナカイを飼いながら狩猟採集を生業としていたのを、トナカイ牧民として集団化して後、「ツァータン」と呼ばれる集団が作り出された。この呼称は他称であったが、現在では自称する者も出てきている。

 トバ人はトバ語を母語とするが、長いモンゴル人支配の中で、トバ語を解せない者が増えている。また、トナカイの減少に伴い、タイガ地域での生活が不可能となり、麓に降りてきて賃金労働に従事する者も増え始めたため、トナカイを持たないツァータンが生まれることとなった。これら麓に降りていったツァータンとタイガでトナカイとともに暮らすツァータンを区別して、特にタイガに住む人々を「タイガの人」と呼ぶようになってきている。2007年夏現在、「タイガの人」としてトナカイとともに暮らすツァータン世帯は約30世帯、トナカイの数は600頭前後と言われる。

 麓のモンゴル人には、「比較的自由に」「常に、頻繁に移動している」とみなされ、外国人旅行客に対しては「いつも移動しているため、所在不明で見つからないかもしれない」という説明がなされるなど、ツァータンの移動や生活様式、トナカイ飼育の有り様の実際をよく知らずに、「原始的な生活」、「かつての遊牧形式」と語られることが多い。

 しかし、実際はいくつかの決まったパターンを持っており、ほぼ一定の場所を季節移動している。季節毎にトナカイ管理の方法は異なり、そのためにそれぞれに適した場所が営地として選ばれ、その営地は、宿営集団毎にほぼ決まった場所となっている。

 これより、以下にバヤラー集団の営地と、放牧活動について季節毎に述べていこう。

トナカイ飼育の年間活動

1 春営地における牧畜活動

 春営地には4月半ば頃に移動してくる。4月下旬から5月半ばにかけて出産シーズンとなり、それに備えて移動する。バヤラーの春営地はボルハイグかデード・オストにある。ここは、標高2000m近くに位置し、森林限界の直下にあたる。

 この時期、放牧は1日3回行われる。太陽がトナカイ柵にあたりはじめる8時頃にその年に生まれた仔トナカイ以外はみな放牧に出される。11時半頃に群は人に追われて戻され、柵に追い込まれる。トナカイの数を確認した後、授乳すべき仔のいる母トナカイが柵から出され、地面の杭につながれる。つながれていた仔トナカイは自由にされ、母から乳をもらう。授乳後は、母も紐を解かれ自由に動き回るが、仔がいるために、どこかへ行ってしまうことはない。そして、午後3時頃、トナカイを放牧に再び出す。このとき、仔トナカイは杭に繋がれ、母トナカイは群と共に、放牧に出される。午後6時頃にこの群は再び、宿営地に戻され、柵に追い込まれ、先と同様に母トナカイが柵から授乳のために出される。次いで午後7時頃に、夕方の放牧に出す。このときも先と同様に仔トナカイを残して、他は群で放牧に出される。太陽が西の山を越えた頃、この時期ではほぼ9時半頃に群は柵に戻される。再び仔のいる母トナカイが柵から出され、仔に授乳した後、搾乳され、仔と一緒に柵外につながれて夜を過ごす。このように搾乳は放牧から戻ったときに行われる。なお、出産間近と見立てられた雌トナカイも柵に戻されたらすぐに柵から出され、杭につながれる。

 この時期の放牧中には、生まれてすぐの仔畜が群から遅れたり、はぐれることがないように、人が終始付き従う。1日に数回放牧を行う理由は、群が散らばりやすいこの時期に、こまめに群を宿営地に戻すことで、群全体を把握しやすくしているのである。また、3時から6時は気温がもっとも上昇する時間帯にあたり、この時間帯に狭い柵内に留めずに放牧に出すのは、涼しいことを好むトナカイを配慮していると考えられる。

 このように、この時期、仔トナカイ以外は、全てのトナカイがひとつの群として放牧に出される。

 放牧に出されるトナカイはオス同士、メス同士で同じ大きさくらいのトナカイが二頭ずつ首をつながれる。この時期、雪が溶け、地表が現れ、花芽が出はじめ、花が好物なトナカイはそれを求めて散らばってしまいがちになるため、このような処置を行って個体に行動制限をかけ、トナカイに騎乗した人が後ろから鞭をふるいながら、群を追う。

2 夏営地における牧畜活動

 バヤラー集団は6月末に夏営地に移動してくる。夏営地はミンゲボラクにある。ここは2000m以上の山々に囲まれた広い盆地状の氷食谷で、湿原になっている。非常に涼しく、暑さを嫌うトナカイには都合の良い場所である。トナカイが散らばりすぎることもなく、山風が強いために、害虫も駆除できるという利点がある。

 トナカイにとって、ブヨやアブは非常に危険な存在である。皮膚に卵を産み付け、それがトナカイを死に至らしめることすらある。社会主義時代には、行政によって予防接種が行われていたが、今では外国からの援助に頼るしかなくなっている。予防接種がほとんど行われなくなった現在、害虫駆除の方法として昔ながらの方法に頼るしかなくなっている。

 トナカイ飼養分類において、害虫駆除の方法には大きく分けて2種類ある。一つは、海風や山風を利用するものであり、もう一つは、燻し小屋を利用するものである。前者は大規模飼養を行うラップ、サモエード、チュクチ=コリヤーク型が該当し、後者にはサヤン型、ツングース型が該当している(佐々木 1984)。しかし、ツングース型に関しては山風利用が併用されるともあり、佐々木は以下のように述べている。

 「山風を利用するのは主に夏に河川や海岸部で漁労活動、狩猟活動に従事する人々に多く、彼らはその間にトナカイを高地に連れて行ってほぼ自由に放牧させる。(中略)この方法はウイルタ族(オロッコ族)、セリクーブ族、ケット族と一部のエヴェンキ族、エヴェンなどのトナカイをごくわずかしか持たない人々の間でよく行われている。また、群は大きいが、山岳地方のラップ族のトナカイ飼養民でも行われている。」(佐々木 1984)
 この記述は、まさにツァータンの夏営地における放牧と合致している。「狩猟活動に従事する人々」が「トナカイを高地に連れて行ってほぼ自由に放牧させる」のは、まさに夏営地におけるツァータンの放牧方法であり、害虫駆除方法である。

 夏営地ではトナカイは3つの群に分けられて管理されている。母トナカイ、仔トナカイ、他トナカイ群である。仔トナカイと母トナカイは交互に宿営地につながれ、他のトナカイ群は基本的に放置されるが、狼の被害が付近に出たときなどは毎日すべてのトナカイを係留する。

 1998年夏の調査時の放牧サイクルと2007年夏の調査時のそれとはずいぶんと異なっていたが、近年、夏場の観光客増加に伴い、観光客の後についてくる狼もまた増えたためだという。1998年夏の放牧は以下のようであった。

 仔トナカイは夜間放牧され、朝方6時頃に帰ってくる。母トナカイはつながれて夜を過ごす。帰ってきた仔トナカイを杭につなぎ、代わりにその母トナカイを放牧に放ってやる。このときは搾乳しない。放たれた母トナカイは個別に自由に草を食べて、12時前には個々に帰ってくる。帰ってきた母トナカイを捕らえて、仔トナカイに授乳させ、次いで搾乳し、母トナカイをつなぎ、その仔を放つ。夕方4時頃に仔トナカイが戻ってくるので、これをつなぎ、母トナカイを搾乳して後、放つ。そして8時頃に戻ってきた母トナカイに仔に授乳させ、搾乳し、杭につなぎ、その仔を放つ。放たれた仔トナカイは朝まで自由に草を食べ、翌朝個々に戻ってくる。この時期の搾乳量は、2000年夏のバヤラー集団では34頭のメスから1日で約15リットルにも及んだ。

 これに対し、2007年夏の放牧は以下のようであった。

 朝6時半頃搾乳を開始し、搾乳後、すべての個体を放牧に放つ。このとき仔畜以外は2頭ずつつないで行動制限を施して放つ。この時は宿営地周辺には太陽光はまださしていない。朝の放牧時群は西側斜面に向けて放たれる。人がついていくことはほとんど無い。太陽光が西側斜面に当たるようになり、徐々に気温が上がり始めると、それに追われるような形で群は、より涼しいところを求めて移動していく。普通ならば、トナカイたちは自分たちで宿営地に戻ってくる。宿営地は北側に川があり、「比較的涼しい場所」であるからだと言われる。10時過ぎ頃に戻ってきて、しばらくそこにいるが、風が吹き始めるなど、涼しくなってくると活動を開始し、また宿営地を離れていく。ツァータンの話に寄れば、暑いと涼しいところを求めて動き回り、群がまとまらないが、涼しすぎても動きを止めることなく、動き続け、群がどこかへと行ってしまうことも多いという。従って、19時頃になって群が戻ってこないときには、人が行って集めなければならなくなる。集められた群は、母トナカイ、仔トナカイ、その他で大きく分けてつながれる。戻ってきたときも搾乳する。なお、仔トナカイや母トナカイは2頭つなぎされていないためか、他個体よりも動きが自由であり、宿営地付近によく戻ってくる傾向にある。
 夏営地におけるトナカイ管理は、母仔群を分離して行う他、気温変化を利用して群を誘導する。可能であれば、牧夫は群につくこともなく、また集めに行くこともない。さらに、塩でおびき寄せるようにしておくなど、極力、トナカイの管理に労働力を費やさないような方法をとっている。

 母トナカイと仔トナカイのいずれかを宿営地につなぎ止めることで、もう片方が宿営地に自然と戻るように管理する方法は搾乳を行う時期には特に行われる。ただし、それぞれの母仔個体は群として動くよりも、個体で活動することが多いため、母仔畜のペアを単位として、母トナカイ群、仔トナカイ群というように群単位ではなく、個体単位で管理している。2007年の放牧パターンは、狼対策ということであるが、基本的には放置放牧を夏には行うため柵も作らない。しかし、被去勢使役用トナカイおよび種トナカイ群に対しては、所在を確認するために、1日1度は群の様子を見に行き、時には一旦、群を連れ帰ってくる。このとき、塩を与えることが多い。更に、4,5日に一度の頻度で鍋一杯のお湯に塩を溶かし、それをまいてトナカイ群を呼び寄せる。

 1年を通じて、トナカイの群を営地付近に留めておく方法に塩を恒常的に与える訓化技術がある。高倉はこれを「塩付け」と呼び、メスを捕獲するのに利用される方法であるとしている(高倉 2000)。ツァータンのトナカイ飼養においても同様に塩を使ってトナカイを人間に近付けている。すなわち、群が営地付近に来たとき、もしくは柵の中から特定のトナカイを捕らえるとき、塩を掌に乗せて呼び寄せ、直接、手づかみでトナカイを捕獲する。塩の入った布袋をちらつかせながら、トナカイに近づくときもある。塩を持っていなくても、掌に指をたてて、「ちっちっち」と呼ぶと、塩を持っているとトナカイは勘違いして近づいてくるようになる。

 ただし、ツァータンのトナカイ飼養においては、雌トナカイに限って使われる方法ではない。全ての個体に対して有効な方法となっている。そのために、普段から、人間が塩をくれるものであることをトナカイに教え込む必要がある。

 従って、オルツから数メートルのところに塩水を蒔く場所を作ったり、杭を立てて、塩水に浸した布きれをぶら下げて置いたりするのである。これら塩場は放置放牧を行う夏季と冬季に多い。さらに、普段から尿をトナカイの鼻先にするようにする。このときトナカイたちは人間に臆することなく群がってきて尿を舐めたがる。雪のない地面に小便をした場合は、染み込んだ土を掘り返しながら舐め続ける。オルツ周辺でうろついているトナカイは、オルツから人が出てくると尿をもらえると思って、一斉に集まってくる。また、人の衣類には汗などの塩分がついているため、所構わず舐めはじめる。

 さらに、中には放牧から戻ると、オルツに首を突っ込んできて塩をねだるトナカイもいる。こういったトナカイには必ず塩をやって習慣づけてやるようにする。オルツの中に塩があることをトナカイは知っているため、オルツを覆っている布を引きはがして、塩をなめようとまでするようになる。放置放牧を行う時期に特に塩を使ってトナカイを宿営地につなぎ止めるようにし向けている。

 夏のトナカイ飼育において重要な仕事として、搾乳の他に、かつてであれば袋角切断があげられていた。暑さに弱いトナカイの夏季の角は毛皮で包まれた袋角となり、皮の下に血液を流し、風に当てて体温を下げている。この袋角が漢方薬の原料として高く売買されるようになったのは1980年代に入ってからのことだという。しかし、無計画な袋角切断が行われたため、トナカイが体力を落とし、また体格が小さくなるという傾向が出始めた。社会主義崩壊直後は、特に現金収入を得るために切断が当然とされていたが、買い取り価格が徐々に安くなってきたこと、トナカイの健康状態が悪化してきていることなどを理由に、切断しない世帯が出始めた。さらに、2004年頃から欧米の観光客が多く訪れて来るようになると、角に彫刻を施して売った方が有利となり始めた。1kgの袋角が5000~9000トゥグルク(約500~900円)で売買されていたのに対して、高さ10センチそこそこの角に彫刻を施したものが15$~40$にもなるのである。しかも彫刻は袋角にではなく、骨化した後の枯れ角に施す。すなわち、10月頃に自然落下した角を拾い集めておいて、彫刻しておけば翌夏には相当の収入を得られるのである。2007年夏には袋角切断を行う世帯は皆無となり、その代わり、ツァータンたちのほとんどが彫刻家となっていた。袋角を切らなくなって以降、トナカイの病気が格段に減り、トナカイの夏場の太り具合も良くなったと、どの世帯にインタビューしても話に出ていた。

3 秋営地における牧畜活動

 秋営地は一カ所ではない。バヤラー集団は8月後半から夏営地を離れ、ジョロク川沿いを下りながら、秋営地をいくつか構える。彼らの1997年から1999年の間のそれぞれの秋営地をまとめると表3-6のようになる。ほぼ同じ時期に、場所を変えているのが判る。すなわち、8月末から9月半ば、9月半ばから10月始め、10月始めから11月始めと3カ所を移動している。それぞれを秋前期営地、秋中期営地、秋後期営地と名付けそれぞれの営地の特徴とそれぞれの営地での牧畜活動を以下に述べていくこととする。

 3-a.秋前期営地

 夏営地を移動したバヤラー集団は、フギィン・サイルもしくはジョットナイ・アム、シャンマグに移動する。この土地はいずれも広く開けた地形である。フギィン・サイルやジョットナイ・アムでは日当たりの良い河原にオルツを構え、背後には急勾配の斜面を背負う。シャンマグでは湿地帯を前にして背に急勾配斜面を背負う。オルツ正面には山の北側斜面があり、いつも日陰で涼しくトナカイを放牧するのに適している。

 この秋前期営地に移動してくると、すぐに、去勢を行う。種トナカイが発情期にはいり、メスを追い回し、群を散らしてしまう前に去勢する。トナカイ飼養の分類において去勢方法は放血法と無血法がある。放血法は陰嚢を切開して睾丸を摘出する方法であり、無血法は歯で睾丸をかみつぶす方法である(佐々木1984)。サヤン型、サモエード型で放血法が採用され、他の型では無血法が採用されている。ツァータンの去勢方法は放血法である。モンゴルのウマにおける去勢と手順はほぼ同じであるが、睾丸を引き抜かずに、切り込みを入れるだけで、睾丸が自然に落ちるのにまかせる。

 この時期の放牧サイクルは夏と同様である。早朝6時頃、仔トナカイが戻ってくるので、これを捕らえ、母トナカイを放つ。10時頃に母トナカイが戻ると、それを搾乳し、つなぎ、代わりに仔トナカイを放つ。13時頃に仔トナカイは戻り、繋がれ、母トナカイが放たれる。18時頃、戻ってきた母トナカイを捕らえ、搾乳し、つなぎ、仔トナカイを夜間放牧に出す。すなわち、秋前期営地においても、母トナカイ、仔トナカイは分離されている。他のトナカイ群は、夏営地ではほぼまったくに放置されていたのに対して、秋前期営地では、夜は柵に入れられる。つまり、朝、柵から放牧に出され、夜には柵に戻されている。また、春営地で行っていたように、トナカイの行動制限をするために、オス同士、メス同士で2頭ずつ首をつながれて放牧に出される。

 朝、放牧に出されるとき群は大抵の場合、川下に放たれる。2人くらい人がついていき、ある程度まで追い立てたら、人は戻ってくる。そして、昼過ぎくらいに再び群を集めに行く。このとき、群の向きを川上へと向けて追い立てる。営地のある場所を過ぎて川上へと追い、先と同様にある程度追い立てたら人は戻ってくる。そして夕方になると、群を追い立てに人が向かい、群を営地の柵へと追い込む。このタイプの地形の秋営地では柵は必需である。

 このように、母仔トナカイの放牧は夏営地で行われていたパターンとほぼ同様に、交互に放牧に出し、他の群はまとめて放牧に出している。午前中の比較的涼しい時間帯に川下へ追い立て、気温が上がる頃には、比較的涼しい川上へと移動させることで群が散らばらないように配慮している。秋は気温変化が激しく、少しでも涼しいところを求めるトナカイは群としてまとまりにくい。また、好物のキノコが生える頃には、この傾向はいっそう強まる。トナカイが発情期に入る前に去勢を行うためには、夏営地からの移動距離は短くなければならず、またトナカイを視認しやすい場所がこの時期の放牧には肝要であり、そのために、河原の開けた、そして、日中気温差を利用しやすい場所が営地に選ばれている。
 
 3-b.秋中期営地

 9月半ばくらいには去勢も終わり、彼らは営地を移動する。バヤラー集団の秋中期営地はノゴーンゴル、トルゴ、ノホイントルゴイ、ボルハヤグなどにある。いずれもジョロク川に流れ込む小川の上流域にあり、標高は約1800m前後になる。営地を構えた所から、更に上流域は森林限界を超え、切り立った岩山に囲まれている。岩山に囲まれた谷間はトナカイ苔も多く、また、非常に涼しいため、暑さを嫌うトナカイが散らばりにくい。また、岩山は中腹から山頂にかけてはトナカイ苔もなく、トナカイが食べ物を探しながら、岩山を超えてしまうことも無く、自然の柵となり、トナカイの管理が非常に容易である。営地から少し下ったところにトナカイ返しの柵を作ることで、小川を下りきってしまうことを避けている。こうすることで群が散らばることを避けることが可能となり、営地に柵を作らないほうが多い。

 この営地での搾乳サイクルは秋前期営地におけるサイクルと変わりない。従って母仔トナカイはそれぞれ交互に放牧に出される。このころには、搾乳量は徐々に減り始め、秋中期営地に来た頃には、せいぜい5リットルくらいになっている。

 他の群は種トナカイを除いて、他は放置される。このときも行動制限をするために2頭ずつ繋がれての放牧となる。この時期の最も大きな関心事は、種トナカイの扱いである。種トナカイを他の群と混ぜてしまうと、他のオスとケンカをしたり、メスを追い回したり、非常に管理しにくい。まして、2頭以上も種トナカイがいると、お互いにメスを奪い合い、群はちりぢりになってしまう。そのため、種トナカイは別々に群に放たれる。2,3歳の種トナカイであれば、老種トナカイとケンカにもさほどならないため、一緒に出しても良いが、年の近い種トナカイを一緒に放牧に出してはならない。放牧に出された方の種トナカイは、右前脚を首に繋がれ、行動制限される。営地に残された種トナカイは、5mから7m位のロープで木につながれる。つなぐ場所は2,3日で変えられる。そして、メスの様子を観察し、排卵時期を見極めて、時期が来たと判断された場合に、放牧から戻ったメスをつながれた種トナカイのそばに連れて行って交尾させる。体の大きな種トナカイは、この期間中殆どをこのようにして過ごす。

3-c.秋後期営地

 10月始めくらいに、秋後期営地へとバヤラー集団は移動する。秋中期営地は、支流の上流域にあるために、飲用水が凍り付くのが早いため、長期間滞在しにくい。凍る前に移動しなければならない。

 秋後期営地は、ジョットナイ・アム、ボルハイグなどである。ジョットナイ・アムは秋前期営地でも利用していた場所であるが、秋前期営地跡にそのまま移動することはない。ボルハイグは秋中期営地でも利用されるが、トルゴやノゴーンゴルのように支流上流域にあるにも関わらず、水量の多い水源が近いために飲用水を得やすいため引き続いて後期営地として利用されることが多い。

 この時期は、7時頃搾乳し、8時頃に全トナカイを1つの群として放牧に出す。去勢も、発情期も終わり、仔トナカイへの授乳もほとんど行わなくなったため、群を1つにして管理できるようになる。ただし、母仔同士、オス同士、メス同士で首をつないで放牧にだす。雪が積もるまでは群の動きが激しいため、行動範囲を制限するための処置である。秋前期営地での放牧と同様に、昼過ぎくらいに、川下に放たれたトナカイの向きを変えさせるために人が出向く。ジョロク川は支流が多く流れ込んでおり、放って置かれた群は支流を遡行してしまいがちのため、あちらこちらの支流に群が散ってしまわないようにしつつ、ジョロク川沿いを上下移動させなければならない。ボルハイグでは沿うべき大きな川がないが、営地の背後の山の南側斜面と、営地前方の山の北側斜面の間を移動させる。暖かい時間帯には、北側斜面に追い込み、涼しい時間帯には、南側斜面に移動させる。すなわち、柵から放牧に出したら、すぐに背後の山の方へ群を追い立てる。次いで、昼過ぎには、群を営地正面の山の北側斜面へと移動させるのである。そして、16時半頃に、トナカイを営地の方へ向けて追い立て、17時半頃には、柵に入れることになる。柵にトナカイを入れた後で、頭数を確かめ、メスを柵から連れ出し、外に寝かしてある丸太に繋ぎ、搾乳を行う。11月近くになると、搾乳量は非常にすくなくなり、乳を出さなくなるメスも増え始めるため、バヤラー集団では、1~2リットル程度が得られるにすぎない。

 以上に秋営地のそれぞれの時期の放牧サイクルと搾乳サイクル、および牧畜活動について述べてきた。秋営地では、一年のうちでもっともトナカイの群の落ち着きがなく、統率しにくい。そのため、地形と気温差を利用すると共に、柵利用によって群管理を効率化しようとしている。そして、発情期に入る前の去勢、発情期のオスの管理、仔トナカイへの授乳の終了などを契機として、営地移動を行っている。そして、雪がつもりトナカイ群がすっかり落ち着きを見せ始める頃を見計らい、冬営地へ移動する。そのころには、ジョロク川も凍り始め、飲用水の獲得に困難をきたすようになっている

4 冬営地における牧畜活動

 11月の始めから半ばにかけて、冬営地へ移動する。冬営地はオルツを立てる場所から南側に開け、太陽光がオルツに出来るだけ多く差し込み、オルツの背後には北風よけになる森がある場所でなければならない。さらに、オルツからみて正面には山があり、そこには深く雪が積もっていなければならない。つまり、マイナス50℃に至るような冬期は人間にとっては、暖かい場所でなければならないので、太陽光と薪の利用がしやすい場所が選ばれる。そして、営地の条件で絶対なのは、トナカイが落ち着ける場所がオルツから近いところにあるということである。すなわち、それが、オルツ正面の山の北側斜面である。ここは日陰がちでトナカイが落ち着いて雪をかき分けながら食事をするのに都合の良いところとなる。トナカイがエサを求めて走り回ることも少なくなるため、良く太るのである。

 バヤラー集団はほぼ毎年オストを冬営地に選ぶ。オストとはモンゴル語で、オス=「水」、ト=「ある場所」を意味し、つまり水が豊かにあるところを指している。ここはジョロク川に流れ込む支流の一つオスト川の上流域にあたり、オスト川の水源の一つであるハルオストから約200mくらい下ったところにオルツは立てられ、そこから、川辺まではほんの15m程度である。オスト川は川幅2mたらずの小川であるが、水量は非常に多く、水深も40cmから60cmと深い。水深も深く、水流も速いため、もっとも寒くなる12月終わり頃に、水面に3cmほどの氷が張る程度で、氷を割れば飲用水を得られる。川向こうには、なだらかな木の生えていない山の北側斜面が広がり、積雪量は1mを軽く越える。オルツの背後には急斜面の山が控え、北風を封じている。オルツのある場所から川下に1kmくらいの所に、杭を立て、狼の毛皮をぶら下げておき、狼の臭いを嫌うトナカイがそれ以上、川を下らないようにしておく。

 冬営地での牧畜はほぼ放置放牧である。群を分けることもなく、自由に放ってやる。2頭ずつのペアリングもこの時期には行わない。種トナカイも営地付近に繋がれることもなく、前脚を首と繋がれることもない。トナカイは夜中、自由に活動し、午前中にはオルツ周辺に戻ってくる。塩を好むトナカイは夜の間に、人間がした尿から塩分を取るために、特に追い立てなくとも、帰ってくる。また、夏営地同様に塩場を作っておいてやる。時には、鍋一杯に約20リットルの水を沸かし、塩を溶かし、まいてやるなどする。「カァーウ、カァーウ」と声を出して呼ぶと、付近のトナカイたちは我先にと宿営地の塩場に駆け戻ってくるのである。1年を通じて普段から、塩を手からなめさせたり、尿を舐めさせたりと塩を利用したトナカイ飼育が徹底された結果であろう。

 朝戻ってきたトナカイの中に、冬期も乳を出すメスがいた場合、それを捕らえて搾乳する。ただし、この時得られる乳はわずかで、11月半ばに6頭のメスから、あわせても0.3~0.4リットル程度である。これはお茶に入れて飲用する。

 普段は放置しておくのが基本であるが、特に日差しが強い日などは、群が散ってしまうことが予想されるので、帰ってきたトナカイを柵に入れておく。そして、午後2時頃にふたたび放牧に出してやる。冬期は出来るだけ柵に入れないで飼育するのがよいとされる。柵は基本的に日差しが強い日に群を掌握するために利用するに留まっている。

 基本的にオルツ周辺でのトナカイの扱い方には三種類ある。すなわち、①丸太に結びつける。②柵に入れる。③放置するの三種類である(Ayolsed 1996)。バヤラー集団以外のトナカイ頭数の少ない集団では、①、③が多く、②柵を利用していない。この柵を利用する方法は、ツァガーンノール郡が作られ、ツァガーンノール狩猟トナカイ牧畜組合ができた頃から指導が始まったという。ツァータンの話によると、アヨルセッドの指導によって柵利用が勧められたという。それ以前のネグデル時代では、柵を利用することはなく、切り出した直径10センチ、長さ5m程度の丸太に繋ぐ①の方法が普通であった。40~50頭程度のトナカイを所有した場合、柵を使わず丸太に縛り付ける方法をとってもそれほど手間ではないとされており(Ayolsed 1996)、集団化が進められる以前、および集団化後も小規模飼養であった時代には、柵の必要は無かったのであろう。しかし、アヨルセッドが指導を始める頃から、トナカイを第六の家畜として大規模飼養への転換が奨励されるようになり、行政指導の元に柵の利用が勧められた。事実、社会主義が崩壊する以前の宿営地跡をみると、大きな柵が作られた形跡が多く見受けられる。つまり、本来は柵を使わずにトナカイを管理していたが、大規模飼養を目指し、トナカイの数を増やしたために、柵を利用するようになったのである。そして、この柵利用は管理を容易にはしたが、柵に入れない方がトナカイの健康状態が良いことはツァータンの間には周知の事実となっているのである。

 冬営地には、トナカイの出産の始まる4月半ば頃まで滞在する。

ツァータンのトナカイ飼養の特徴

 以上にツァータンの年間サイクルと、その時々の管理技術について述べてきた。
トナカイの生態的特徴を移動要因とした場合、トナカイの出産に適した土地=春営地、暑さを避けられる土地=夏営地、去勢および交配を行う土地=秋営地、トナカイに手をかけずに済む土地=冬営地と、大きく4種類の営地を移動している。これらを踏まえて、ここではツァータンのトナカイ飼養を考察する。

 ツァータンのトナカイ飼養はトナカイと非常に近く接触する機会が多いといえる。つまり、母子群を分離したり、繋いだりしながら、その都度、一頭ずつ手を触れ、オスたちは一頭ずつ捕らえられて去勢され、かつ小さいうちから調教を日常的にうけるのである。去勢されたオスたちも子供たちの騎乗練習相手として、日常的に触れられながら育っていく。そして、日常的に人間の手から塩や尿をもらう。人間の体を舐めにやって来たり、オルツをなめ回したりする。このように人間とトナカイの距離は非常に近い。そのため、母子群、使役トナカイ群、種オスのどの個体もが基本的に手での捕獲が可能である。これに対して、大規模飼養されているトナカイと人間の間の距離はツァータンたちのそれと比べて遠い。高倉に寄れば、「より重要なのは、たとえ訓練が終わり人が利用可能になっても、群で集まっている状態から人が直接、手でその個体を捕獲することは原則的に出来ないと言う点である。調教した去勢オスは未調教個体と比べると、人が接近できる距離は小さくなるが(しかしながら未調教個体と混じっている状態になるとほとんど差異はなくなる)、基本的には投げ縄による捕獲が必要なのである。」(高倉 2000)という状況である。

 ツァータンはトナカイを捕らえるのに基本的に道具を使わない。柵に追い込んだ状態であれば、そのまま柵に入っていって手づかみで捕らえることが出来る。柵が無い場合でも、放牧から戻されたトナカイたちは自ずから営地周辺で尿を舐めはじめるなどして、立ち止まる。中にはなかなか捕らえられない個体もいて、数人で囲むこともあるが、それでも手づかみが基本である。

 また、トナカイの活動が活発になる時期には、2頭ずつ繋いで行動制限を加えているのも、手づかみ出来る理由である。しかし、結局、普段から手づかみされているトナカイたちは人間にすっかり慣れ親しんでしまうことになる。更に、子供たちは柵の中のトナカイに無差別に飛び乗って遊ぶ。特に調教を施さなくとも、トナカイは鞍を付けられてヒモで繋がれたならば、おとなしく引かれていくのは、このように普段から子供が乗って遊ぶことが調教に等しいことをしているのである。

 人との接触に対する許容度という点においては、どの個体群もその間に差異はそれほどない。母トナカイは帰ってきては、塩におびき寄せられて捕らえられ、搾乳される。仔トナカイも帰ってきては、塩におびき寄せられて捕らえられ、つながれる。他の群は、常時、塩と尿ほしさに、人のまわりをうろつき、すぐに捕らえられる。「家畜側からみて、人との接触を積極的に行うかどうかは別として、これを許容する個体が現れると言うことである。その点からすると、私的所有で調教済みの雌トナカイ、騎乗トナカイ、駄載・牽引トナカイという順で、人との接触への許容度が高い。」(高倉 2000)というのがシベリア大規模トナカイ飼養であるとすれば、ツァータンのトナカイ飼養においては、人間と家畜の距離がより一層近いことは明らかである。
冬期や夏期の夜間放牧や日中放置放牧をみると、人間とトナカイの関係が非常に希薄な印象を受けがちだが、日常的な対個体への接触が非常に密であるからこそ、可能な放牧方法なのである。

 ツァータンは、このように各個体との距離を近くした上で、群の管理を行っている。40頭前後を所有規模としていたのが、社会主義を経験する以前のトナカイ飼養であった。しかし、世帯単位では無く、宿営集団を形成している現在のツァータンは、自然と管理する頭数が増え、群単位での管理も行うようになっている。群は母トナカイ、仔トナカイ、種オス、被去勢使役オスに分けられて管理され、これら4つの群が季節によって、時には分けられ、時にはまとめられて管理されている。母仔群を分け、それぞれを交互に拘束することで、両群の行動管理を行い、さらには種オスおよび被去勢オス群の宿営地周辺への回帰を緩やかにでも促すことになっているのである。そしてこの管理をより容易なものとするために、地形を柵のように利用し、また、柵を作ることで、少人数でも群管理が出来るような工夫をしていることが伺える。

 ツァータンのトナカイ管理技術の大きな特徴は家畜との距離を近付けるための管理技術と、群管理の合理化を求めた柵利用にあるといえよう。少人数でトナカイを管理できるようにすることで、女性や子供でも十分に日常の放牧活動を可能にしているのである。

 森林地帯のトナカイ飼育について、佐々木はトナカイが増えると、その世話に追われ、他の活動すなわち、狩猟、漁労活動の時間が少なくなるために不利となるとし、「東シベリアのエヴェンキの例では一家族当たり、20頭ほどが理想的であるといわれる。不猟時のことを考慮しても30頭~50頭ほどで十分である。それ以上になると家畜の世話に追われて狩りに行く暇がなくなるのである。」と述べている(佐々木 1992)。

 確かに、社会主義以前のトナカイ飼養であったならば、まさにここに述べられた理想が当てはまるであろうし、実際に現地で聞く昔話とも合致する所有頭数の数字である。しかし、現在のツァータンは中規模トナカイ飼養をしており、それに適応することが求められている。トナカイの日常的な世話を女性や子供で可能とする様々な工夫が、現在のトナカイ飼育のあり方から観察できた。トナカイ飼育を少人数で効率的に行うようにする理由が家庭内の分業体勢を確立することにあるのは明白である。先に佐々木が述べたように、男性たちは狩りに行かねばならない。トナカイ飼育で賃金を得られなくなった現在、彼らはいくつもの生業を平行して行うために、以上のようなトナカイ飼育方法を営むに至っているのである。

さいごに

 本稿ではツァータンが営むいくつもの活動のうち、トナカイ飼育だけを対象に取り上げて述べてきた。しかし、彼らの活動は社会の社会主義化、資本主義化という大きな変動の中で常に揺れ動きながら、適応を余儀なくされてきており、トナカイ飼育だけではツァータン社会の全体像を述べることは適切ではない。トナカイ飼育を女性や子供だけでも可能な状況にした以上、男性の役割を述べなければなるまい。彼らの活動は狩猟活動、交易活動や観光産業への適応など常に変化の中で展開されている。筆者は90年代半ばから長期にわたって彼らと生活を共にしてきた。それらのデータを少しずつではあるが発表し、今後の議論に資したいと思う。

引用文献


Аюулсэд.Г. 1996 Хөвсгөлийн цаа буга,Мөрөн.
Бадамхатан.С. 1962 Хөвсгөлийн цаатан ардын аж байдлын тойм,ШУАХ,Улаанбаатар.
稲村哲也(2000):「「ツァータン」-モンゴル辺境部におけるトナカイ遊牧と市場経済化過程における社会変動」.『エコソフィア』、5、101-117.
佐々木史郎(1984):「シベリアのトナカイ遊牧-西シベリア、ネネツ族の事例とその経済的意義の考察-」.『季刊 人類学』、15(3)、114-180.
佐々木史郎(1992):「シベリアのトナカイ―人とのかかわりから―」.『ソビエト研究』、第7号、128-144.
高倉浩樹(2000):『社会主義の民族誌――シベリア・トナカイ飼育の風景』、東京都立大学出版会.
中田篤(2006):「冬営地におけるツァータンのトナカイ放牧」.『北海道民族学』、第2号、30-37.
中田篤(2003):「ツァータンのトナカイ牧畜 -秋営地におけるトナカイ管理と利用-」.『北海道立北方民族博物館研究紀要』、第12号、51-67.

Last modified on 月曜, 24 9月 2012 10:58
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